どうも、光成です。
僕は今でこそ普通に会社員の時より自由に楽しく生きてこれてるわけなのですが、
昔はかなりの社畜をやっていました。
毎日朝の7時から夜の22時まで働いて、
バタン!と疲れ切ってベッドの上に倒れて寝る。
そんな生活をしていて会社を辞めたいと思ったのですが、
1度だけ、交通事故で重症になり、
「不労所得」をもらっていた時をふと思い出したので、
今日はその話をしようと思います。
あの事故のせいで、死ぬほど会社を辞めたいと思いましたし、
人生で初めて”満員電車”も体験しました。
そう思うと、今は会社を辞められてとても良かったなーとも思います。
そんな話をしようと思います。
某日
当時の僕は朝の6時位に家を出て、
毎日夜遅くまで働く日々を送っていました。
運送の会社だったので、朝早くて夜遅いのですよね。
あまりにも夜が遅いのですが、なるべく早く家に帰り自分の時間を確保したいと思っていたので、
当時の僕は毎日バイク通勤をしていました。
当時の僕が乗っていたのが125ccのスクーターバイクです。


こんな感じのバイクに乗って、100キロとかで通勤していました。笑
バイクだと驚く程早いです。
片道電車だと1時間ちょっと掛かる所が、
バイクだと30分以内につくわけです。
しかも夏だと気持ちいいですよ、風が暖かくて気持ちいいです。
冬は寒いですけどね。笑
そんな感じで毎日バイク通勤していました。
と、当時の僕はボクシングにもハマっていたのです。
高校を卒業した当時の僕はプロのボクサーになりたいと思っていたので、
ボクシングジムにも通っていました。
確か25時くらいまで営業している所で、
僕は仕事終わりに毎日のように行っていたのですよね。
本気でプロボクサーになりたいとはじめの一歩を読んで思っていました。


完全に影響されていましたね。笑
で、仕事が終わってからバイクでジムに移動して毎日練習です。
それから家に帰るのですが、
そうなるとかなり遅くて夜中の1時とか2時に寝ることになります。
そして次の日の朝にまた早起きして、
バイクに乗って通勤するわけです。
毎日眠かったです。
寝るのは遅いし、体も疲れてるし、
ジムと肉体労働ばかりの日々で疲れ切っていたからです。
そんな生活を数ヶ月送り事件が起きました。
毎日ジムと仕事の往復ばかりでしたが、
当時はボクシングのおかげで充実はしていました。
まぁ、疲れてはいましたが楽しかったです。
ただ、どうしても疲れ切ってしまっていて昼は毎回眠っていました。
休憩中は基本的に寝ていて、
完全に睡眠不足だったわけです。
それは朝にもかなり影響が出てしまっていて、
遅刻も段々と増えてしまいます。
睡眠不足で起きれなかったのです。
そんなある日、いつものように僕は起きました。
しかし、この日はとても眠すぎて眠気が取れません。
眠すぎたので信号待ちで数秒でも寝たくなった僕は、
普段は帽子のようなヘルメットを被っていましたが、
この日はフルフェイスのヘルメットを被りました。


こんな感じの顔を全て覆ってくれるヘルメットです。
いつものように僕はバイクに乗ります。
眠すぎて軽く遅刻していたので、80キロ〜100キロ程で会社に向かいます。
急いでました。
しかし、眠すぎたので信号で止まった時は、
ちょっと仮眠を取ったりしていました。
目をつむって一瞬だけ寝るのです。
そして、青になってまた走り出します。
これを続けながらバイクで会社に向かっていたのですが、
急に目の前が真っ暗になりました。
何も考える暇なんてありません。
急に目の前が真っ暗になったのです。
ただ、一瞬目が覚めます。
周りを見ると僕の周りに人が溢れていて、
大きなサイレンの音が鳴り響いています。
救急車のあのうるさい音が僕の目の前で鳴っているのです。
僕はそこで我に帰り疑問を感じました。
「え?なになに?何で救急車いるの?」
と、思っていたら、僕が救急車に乗せられるのです。
「え?俺が?なんで?」
と、思っていると腕から激痛が走ります。
恐ろしい程の激痛で動かす事が出来ませんでした。
「いてぇぇぇ!何でこんなに痛いんだよ」
そして救急車の中に乗っている人に「動くな!」と言われます。
が、僕は会社に通勤していたので、
「やばい!このままじゃ会社に行けない!」
と、思いました。
早く出勤しなければ・・・と思ったのです。
完全にこの時は今思うと病気です。
が、事故でこのままじゃ会社に行けないと救急車の人に言われたので、
上司に電話して交通事故で救急車で運ばれることを伝えると、
「お前もかw」
と、言われました。
これは奇跡的な出来事ですが、僕の他にも同じ店の社員で、
自転車通勤で壁に激突して病院に運ばれたやつがいたみたいです。
奇跡的でした。笑
それと、これは体験した人にしかわからないと思いますが、
交通事故で死ぬ時に走馬灯が見えると言われたりします。
ですが、そんなものは全くありません。
走馬灯が見れるくらいならアマチュアで、
まだ死ぬ一歩手前まで行っていないのですよね。
正直走馬灯見れるなら完全に死にません。安心してください。笑
本当に死ぬレベルまで行くと「無」になります。
僕は救急車の中で1度目が覚めましたが、
目が覚めるまでは何も感じずに目の前が真っ暗になっていました。
急にです。
何も感じません。
ふっと目の前が真っ暗になって何も感じずにこの世から去ることになります。
僕はそれを体験したのですよね。
交通事故とかで死ぬ時は一瞬で、
何も感じずに終わることは耳寄りの情報ですね。笑
覚えておいてください。
で、僕はまた目が覚めて、
今度は病院のベッドの上にいました。
よく言われる、気づいたら病院のベッドの上で目が覚めたというやつです。
「何でここにいるんだろう・・・」
起き上がろうとして、
腕を動かそうとすると激痛が走ります。
激痛過ぎてベッドの上から動けません。
「痛え、何でこんな所にいるんだろ」
と、僕は何も覚えていませんでした。
そして、ベッドの上から動けなくてじっとしていると、
病院の先生が来ました。
僕「えー僕は何故ここにいるのですか?」
先生「交通事故ですね。車に轢かれました」
僕「え?嘘でしょ!?」
聞いてみると僕はバイクで100キロくらいで走っていたのですが、
一緒に並行していたタクシーが車線変更して僕を轢いたみたいでした。
ただ、僕の予想では僕が走行しながら寝てタクシーにぶつかったのではないかなという感じに思っています。笑
僕は当時のことを何も覚えていないのです。
人間あまりに恐怖を感じる体験をすると、
脳がその記憶を消すらしいです。
多分僕はそれで当時のことを全く覚えていないのだと思います。
(寝ながら轢かれたから覚えていないという説もあります。笑)
ちなみに、事故の後に来る緑のおじさんがいるのですが、
後日、話を聞いてみると、
緑「いやー完全に死んだと思いましたよ〜w」
と、軽い感じに言われました。笑
僕は頭を強く打っていたので死んだと思われていたみたいです。
ただ、この日は奇跡的にフルフェイスのヘルメットを被っていたので、
助かったんだと思います。
帽子型のヘルメットでは多分今、
この記事を書くことは出来ていないかも知れません。
まぁ、でも100キロで走っていて事故ったら、
そりゃ死んだと思いますよね。
僕も普通に今でも生きてることが不思議だと思っています。
まぁ、そんな感じで僕は大事故にあったことで、
- 脱臼
- 骨折
- 靭帯切断
- なんか後もう一個
という感じの怪我を負いました。
かなりの重症で、
僕の靭帯が切れたことで骨が飛び出てるんですよ。
皮膚は突き破っていないですが、
完全に飛び出ているわけです。
本当にやばかったんだと飛び出た骨を触って確信しました。
そうして僕は手術しないと腕が肩より上に上がらないということになり、
手術をして家に2,3ヶ月引きこもり生活をすることになりました。
肩の手術って痛いですよ?痛みが1番残るらしいので夜は眠れませんからね。
しかし、この引きこもり生活がとても快適でした。笑
まず、お金の面ですが、僕は毎日のように病院に行っていました。
たしか交通事故が起きたりとかすると、
病院に行った回数だけ保険金か何かが付与されます。
僕の場合は1回で確か4000円ちょっともらえたんですよね。
ほぼ毎日病院に行っていたので、
毎日ダラダラして病院に行くだけでお金をもらえるという、
「完全スーパー不労所得タイム」
に入りましたね。笑
そして時間が鬼のように余りました。
当然毎日やることがないので、
家でゲームするくらいしかないです。
(思えばこの時に勉強すればよかった)
でも、お金も貰えてダラダラ出来て、
最強に暇人です。
会社員だったので、この瞬間はとても楽しかったです。
が、会社員あるあるの洗脳に掛かっていた部分もありました。
当時は管理職だったので、
「僕が会社に行かないとまわらない」
「会社に行かなかったら大変なことになる」
と、本気で思っていました。
だから大怪我しているのに、
謎の責任を感じているのです。
そんな経験ありませんか?
会社に行けない状況だったり、
行きたくないのに謎の責任感を感じているという。
が、そんな時に僕の親父が、
「お前は怪我しているから休んでいいんだよ」
と、至極当たり前のことを言ってくれたので、
「確かに・・・」
と、思ってちゃんと休みました。
もし、言われてなかったらかなり無理をして、
会社に出勤していたかも知れません。
本当はもっとちゃんと休んでいいんですけどね。
何で会社に頑張って出勤してるんだろ・・・と考えるようにもなりました。
この時は1番辞めたかったです。楽だったので。笑
が、結局ギブスが取れた頃に会社に出勤することになります。
まだ完全に治っていないので、
肉体労働ではなくて営業部で電話をすることになりました。
ちなみに、この時、事故の保険金など諸々で200万程貰えました。笑
そしてここから地獄の日々が始まるのです。
僕は肉体労働で体を動かすことができなくなったので、
本社で営業の電話をする仕事になり通勤時間が変わりました。
毎日朝の7時には会社に出勤する為に6時には家を出ていましたが、
朝の9時に出勤することになったので8時に家を出るようになりました。
「なんだこの時間に出勤って・・・神かよ」
今までこんな遅い時間に出勤したことはありません。
遅刻するはずのない時間に出勤出来ることに僕は歓喜です。笑
が、そう思うのは1日で終了しました。
会社は新橋のゴリゴリのオフィス街でして、
山手線で通勤することになるので、
「満員電車」に乗ることになるからです。
正直最初は舐めてました。
「満員電車と言ってもさすがに死ぬほどパンパンではないだろ」
と、思っていたのです。
それが大きな間違いでした。
僕が朝の8時に家を出て山の手線に乗ろうとすると、
そこには恐ろしい光景が広がっていたのです。
山手線に乗ろうとしている人の量がえげつなくて、
電車に乗るとぎゅうぎゅうに押し付けられるのです。
よく、壁に押し付けられるとは聞いていましたが、
本当に押し付けられました。笑


この満員のレベルを超えていて、
乗れないから駅員が入り口で人を押すんです。
僕は完全に押しつぶされていました。
さらに、僕はつい最近までギブスをつけている状態だったのに、
腕を押し付けられるわけですから激痛が走ります。
「なんだよこれは・・・怒」
満員電車による僕のストレスが一瞬で満タンになりました。笑
しかも、僕は身長が高いので、
目の前に他人の頭がくっついてくるのですよね。
背が高い人はわかると思いますが、頭皮が目の前に来るんです。
朝から他人の人間の頭皮の臭いを嗅がされるという拷問にさらされてるわけです。
この生活が2ヶ月、3ヶ月も続いて心の底から苦痛でした。
さらに会社に行くと、営業の部長に死ぬほど切れられることが多かったわけです。
朝から満員電車に悩まされて、
出勤しても部長に怒られて、
おまけに帰りも電車は混んでいて。。。
毎日が最悪でした。
ギブスをずっと取らずに生活していれば良かったと死ぬほど後悔しましたよ。
それほど毎日がつまらなくなりましたね。
特に満員電車が最悪で心の底から2度と乗りたくないと思いました。
この時から会社は辞めたいと思っていて、
なんとか自分でやってみたいとも思っていました。
「何か出来ることないかなー・・・無理か」
と、余裕で自分には出来ないと秒で結論を出していましたね。
知っていれば出来ます。でも知りませんでした。
だからすぐに諦めていたのです。
で、この後に僕は転職してナンパを始めるようになり、
情報発信ビジネスに出会って会社を辞めることになります。
今でも思い出すのですが、
この時の満員電車は本当に苦しかったです。
狭くて空気が汚くて苦しいということもありますが、
毎日これに乗らないと行けないという意味でも苦しかったですし、
実際何度も僕は上司に電車が無理とダダをこねてました。笑
正直、当時はビジネスとか考えていないですが、
それでも、この満員電車が無理なので一生乗りたくないと感じた程です。
僕はサラリーマンだろうが、
絶対にこの満員電車には乗りたくないと思っています。
臭い、汚いが詰まっているのが満員電車ですね。笑
そう思うと今は自分でビジネスを始める事が出来て、
本当に良かったと思います。
事故って家でニートの時に、
自分で何かを始めて見たいと思っていたのですが、
あの時はハードルがとても高かったです。
ただ、今思うと知らないだけで知っていれば誰でも出来ます。
で、実際やってみるとビジネスは、
大学生でも高校生でも出来るようなことでした。
僕は文字を書いたりしているだけですからね。
誰でも知らないから難しく考えているだけで、
実はそこまで難しくありません。
昔の僕に教えてあげたいと思いますね。
もう、稼げなくなるという気持ちは全然無いので、
再就職とかは無いですが、本当に満員電車は乗りたくないですね。
それに仕組みを作ると勝手に収益を得る事もできるので、
事故って保険金を得ている時の「不労所得」を現実にすることも出来ます。
僕は今、それをもっと大きくしていこうとしています。
ビジネスを始めたから、こんな事ができるようになりましたね。
昔の自分と今の自分を比べると、
大きく変わったので本気で今が人生1番楽しいです。
ちょっとした挑戦をしたからですね。
これは僕だからじゃなくて、誰でも出来るようになります。
情報発信ビジネスなんて低コストで始めることが出来ますからね。
年間1万円前後です。誰でも始める事が出来ます。
後は始めるか始めないかですね。
楽しいので是非やってみてもらえればと思います。
僕は「満員電車」に二度と乗りたくないし、
あの時のような「不労所得」を得たいと思っているので、
今後もがんばります。
一緒に頑張って人生最強に楽しくしていきましょう。
情報発信ビジネスについて詳しく知りたい人は、
こちらの記事で解説しているので読んでみてください。
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